『ポスト団塊ジュニア考』

私も在籍するリクルート住宅総合研究所から『ポスト団塊ジュニア考』が発行されました。
サブタイトルは「2015年 住宅市場は、彼らを中心に回る。」
市販はされませんので、皆さんの目に触れる機会はまず無いでしょうけど(w。

このプロジェクトは、主任研究員のMさんがリーダー、弊社では私とAさんが主要メンバーとして昨年12月から長期参画しました。

最終的な報告書は、優秀なクリエイターも揃え、すげーセンスの良いものになりました。やっぱり、本格的なモノが出来上がるような仕事はいいもんです(^-^)。

▼写真は、表2+表2対抗の観音開きを開いたところ
ポスト団塊ジュニア考.jpg


これは確かに「世代論」ですが、最近東浩紀氏がUPしたブログ記事「オタク世代論補足」(http://www.hirokiazuma.com/archives/000222.html)の下記内容に近い感じで、軽く捉えています(私は)。

実は、僕があの世代区分を本(※『動物化するポストモダン』)で提案するまえに、竹熊健太郎さんや小谷真理さんから、「これはひとつ世代がずれているんじゃないの」と指摘されたことがありました。彼らによれば、全共闘世代こそがオタク第1世代で、新人類はその追随者にすぎない。同じことが宮台さんや笠井さんにも言われた気がするので、それは多くのひとの共通感覚なんだと思います。なるほどなあ、と思いました。

にもかかわらず、僕が1960年近辺生まれを「第1世代」にした理由には、実は1981年の「アニメ新世紀宣言」イベントと、やはり同年のDAICON3があります。むろん、僕は当時10歳だったのでリアルタイムで経験できたわけではないのですが、それぞれのイベントについては、あとで何度も話を聞きました。そんな強烈なイベントを20歳内外で体験した人々こそ、オタクの第1世代と呼ぶべきなのではないか。それが僕のオタク観の中心になったわけです。そしてそれは、実際に、オウム真理教徒の世代であり、また『エヴァンゲリオン』の制作者の世代でもありました。

ちなみに、僕自身は、小学生から中学生にかけてディープな小松左京ファン、新井素子ファンだったので、DAICONのほうは名前だけですが数年後に知っていました。1983年の僕は、中学受験が終わったと思ったら、うる星やつらのチーフディレクターが押井守でなくなって凹んでいました。同じように、小松さんや新井さんのエッセイでDAICONのことを読んで、「ああ、ここでも間に合わなかった」と悲しい想いをしたことを覚えています。ネットがあれば、小学生でもがりがり情報を集めていたのですが、当時はそんな環境はなかったのです。

……というわけで、1960年近辺生まれを第1世代とすることは決まったのですが、ではなんで1970年近辺生まれが第2世代なのか?

これは実は深い意味はありません。というよりも、深い意味をもたせないというのが、この世代を挿入した意図でした。

いまさらこんなことを言っても信じてもらえないかもしれませんが、僕は実は、『動物化するポストモダン』が世代論やオタク論に偏ることを本気で避けたいと思っていました。もし「世代」に強い意味をもたせるとしたら、オタク第2世代は、1970年近辺生まれではなく、1980年近辺生まれ、つまり、いま第3世代と言われているあたりに設定するべきでした。そうすれば、第1世代が第2世代に変わった! これからは世界設定じゃなくて萌えだ! という話なのでまとまりがいいのです。実際、『動物化するポストモダン』の内容からしても、そうなるべきでした。第1世代はシニシズム、第3世代は動物、というのが、あの本の(きわめて大雑把に要約すると)主張なのですから。

にもかかわらず、主張が弱くなるのを承知で第2世代を入れたのは、「世代」という言葉を単純に出生年代区分として使いたかったからです。1960年生まれは第1世代、1970年生まれは第2世代、1980年生まれは第3世代、という区分は、出生年を区分して示しているだけなので、深い意味をもたないと思ったのですね。実際はそうなりませんでしたが……。

Posted by simfarm at 2006年07月07日 22:35