1月15日 直感 (「無意識」研究vol.1)

アンリ・ポアンカレ
「たとえば数学的創造とは何か。それは既知の数学的実体を使って新しい組み合わせをつくることではない。だれだってそんなことはできるが、そういう組み合わせは無数にあるだろうし、その大半はまったく面白くないものだろう。創造するということは無用な組み合わせをすることではなく、有用でごく少数のものをつくることにある。創造は洞察であり、選択である。
 この選択をどのようにするかを、私は前に説明した。すなわち、研究に値する数学的事実というのは、ちょうど実験的事実が物理的法則の知識をわれわれに授けてくれるように、他の事実とのアナロジーにより数学的法則の知識をわれわれに授けてくれる可能性をもったものである。それは、長い間知られてはいたが、たがいに無関係であると考えられていた他の事実との間に、思ってもみなかった共通点をわれわれに示してくれるようなものである。
 選択された組み合わせの中でもっとも実りあるものは、たがいに遠くに離れた領域から引き出された要素でできあがっているもの、ということがしばしばある。といっても、可能なかぎり異質なものを合体させれば創造に十分である、ということではない。そうやってできた組み合わせは大半が不毛であるだろう。しかしその中にいくつか、ごくまれにではあるが、この上なく実りのあるものがある。
 創造とは選択することである。しかしこの言葉はたぶんあまり正確ではない。この言いまわしでは、いくつかのサンプルを見せられ、選択のためにつぎつぎと品定めをしている購入者を思い起こさせてしまう。もしサンプルがとてつもなく多ければ、一生でも品定めには十分ではないだろう。しかし実際はそうならない。不毛な組み合わせは、もともと創造者の心に浮かばないのである。中にはある程度有用な組み合わせの特徴をもつものもあるが、あまり有用でない組み合わせは、だいたい意識のフィールドには現れてこない。まるで創造者が一次試験をパスしてきた候補者に質問をする二次試験の試験管であるかのように、すべては進行する。」

レオ・シラード
「創造的な科学者にはアーティストや詩人と共通するものが多い。論理的思考と分析的能力は科学者に必要不可欠なものだが、とてもそれだけでは創造的研究に十分ということにはならない。これまで飛躍的前進をもたらしてきた科学的洞察は、既存の知識から論理的に引き出されたものではない。科学の進歩のもとになっている創造的なプロセスは、無意識のレベルで作用している。」


「暗黙知の形式知化が大事」だとか、「これからのリーダーは言語化の能力が必須」だとか、凡人ほど軽々しく口にするけど、顕在化できるものなどタカが知れていることを理解していないもので。


<今日の五兄弟(一人&四匹)>

日月(三女)
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【D300+SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC MACRO HSM】

ユキ(長女)
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【D300+SIGMA 18-50mm F2.8 EX DC MACRO HSM】

Posted by simfarm at 2008年01月15日 22:23