パーセプション(知覚)を変える

コンセプト定義ネタを続けます。

村山さんのコンセプト定義の中で最も重要なのは、「パーセプション(知覚)を変える」ということです。サラッとわかったようなつもりになっちゃダメです、ここは。

「パーセプション(知覚)を変える」
「パーセプション(知覚)を変える」
「パーセプション(知覚)を変える」
「パーセプション(知覚)を変える」
「パーセプション(知覚)を変える」
「パーセプション(知覚)を変える」
「パーセプション(知覚)を変える」

「南無妙法蓮華経」よろしく(我が家は日蓮宗w)、7回お題目をとなえて潜在意識に植えつけましょう。

自分の意識的な活動のうち、自分に対しても、関係する人々に対しても、どれほどこの「パーセプション(知覚)を変える」ということに時間やパワーを費やしているか、想像してみてください。

人の活動の大部分はそのために行われているといっても過言ではないのです。
ちょっとした「ヘー!」やちょっとしたボケのおかしさからはじまり、感動の「涙・涙・涙」まで、全て「パーセプション(知覚)を変える」ということであります。

大事なのは、どれだけ大きな、パーセプション(知覚)、認識、常識のギャップ(ズレ)を作れるかということです。

そうするためには、方法はそれほど多くありません。

①思いもしなかった遠い組み合わせをつくる
②常識を木っ端微塵にする
③不確かな常識を徹底的に肯定する
(これも実は同じベクトル方向の延長線上にパーセプションが変わるのです。「やっぱりそうだったか!」と)

私が仕事上で意識するのはそんなもんです。
上の3つはどれも「そりゃ面白いね!」って思いませんか?

この3つを意識しながら、私も日々仕事をし、家庭生活を送り、余暇を過ごしています。


今日言いたかったのは、「パーセプション(知覚)を変える」というのは、かくも日常的なものだということです。

そもそも「コンセプト」というものからして、実に日常的なものなのですが、その話はまた後日。

Posted by simfarm at 2006年06月27日 14:39