『日本という方法』(松岡正剛著/NHKブックス)

『日本という方法』(松岡正剛著/NHKブックス)

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これは“快著”ですね。

セイゴオ先生の、日本を「編集」という視点で切り取るという「編集」方法そのものに感服しました。

そして「これからの日本の指針はこれではないか?」というヒントを沢山もらうことができました。

今回も、私の読書備忘録を掲載しておきます(これでもかなりカットしてるのです)。

皆さんもぜひご一読して、自分なりの日本を「編集」してみてください。


<備忘録>

●日本は「一途で多様な国」

●西田幾多郎「絶対矛盾的自己同一」 矛盾や葛藤しあうものの組み合わせのなかに、それを弁証法のように止揚してしまうのではなく、それらを保持したまま自己同一性が生まれてきた

●日本は「主題の国」というよりも「方法の国」

●日本人は対比や対立があっても、その一軸だけを選択しないで、両方あるいはいくつかの特色をのこそうとする傾向をもっている

●日本文化史でたったひとつ決定的な“発明”を言えと問われたら、私は迷うことなく仮名が発明されたことをあげる

●林屋辰三郎「和様文化とは非対称の文化である」

●アワセ・キソイ・ソロエ・カサネ 日本文化の編集方法

●ウツロやウツリやウツロイは、そこに何もないと思えていたのに、何かが生じてくる。無常を感じることによって、かえってそこから何かが移り出てくる。無常感にはそういうクリエイティブな見方も含まれているはず。いいかえれば、「負」や「無」だと見えていたものから新たな価値が出てくる可能性があるということになる。どんなウツツの現実ももとはといえばウツロイのひとつの決着であって、そのウツロイの元をただせばそもそもがウツなるものだったということになる。ヴァーチャルな無のウツと、リアルな有のウツツ。ウツとウツツは正反対の意味をもちながら、それぞれリバースに行き交っている。そのウツとウツツを、ウツロイがつないでる。

●男が世の中で発揮している「はか」の成果に対して、女たちが「はかなし」だってそれなりの心や美をもてるのではないかという発見をした。よくよく考えれば、いったいこの世は「はかなくないもの」なんてないのではないかというふうになっていった。「はかなし」は人生の本質を発見した言葉だということになってきたのです。

●岡倉天心「あえて仕上げないで、想像力で補う」

●好みの文化に数寄をもちこんだ張本人は村田珠光 「和漢のさかいをまぎらかすこと肝要」 「さかい」にこだわらないで、これを融合させなさい、あるいは交ぜなさいという提案。日本文化の編集の歴史では特筆にあたいする提案。

●「中国モデル→天皇→徳川幕府」 ⇒ 明の崩壊 ⇒ 鎖国 ⇒ 中華思想の中軸を日本に(山鹿素行『中朝事実』:皇統の一貫性 →八紘一宇、大東和共栄圏、五族協和) ⇒ 国学へ

●江戸は何もかもが極端に向かって、仕込まれ、析出され、演出され、消費され、洗練されていた。そのうえ、その生産消費サイクルは現在よりよほどリーズナブルだった。

●江戸時代に「中国離れ」はなしとげられた。「アメリカ離れ」に苦労している今日の思想状況とは隔世の感がある。「中国離れ」に傾注した日本人も、「西洋離れ」はとことんヘタ。江戸時代の「中国離れ」は、どの学派もその思想家も「日本の面影」の正体を追求しようとしたものだった。

●本居宣長 規定しようとしたり、普遍性を求めようとしたり、分割思考したりすること自体をやめて、日本の奥に動いているらしい動向や趣向をそのまま取り出せないだろうかと、そのことを言い続けた。 「触れるなかれ、なお近寄れ」

●内村鑑三は日本を「小さな政府」にしたかった。「ボーダーランド・ステイト」(境界国)。このサイズは昭和中期、石橋湛山によってふたたび提唱されるが、その湛山を含めていまだに誰も本気ではとりくんでいない。

●清沢満之 二項同体 消極主義 ミニマル・ポシブル ⇔ 西洋の二項対立

●家永三郎 日本文化の特質は対立や相克を解消する不徹底にあるのだから、そこを明示するのは不可能に近い

●金子光晴 日本人はヨーロッパ人になることは不可能なのだから、それに拮抗するには日本の「紙と竹と土の文化の美しさ」を持ち出すべき

●上質の日本文化は、つねに「無」や「無常」とは表裏一体なものとなっている

●司馬遼太郎 「核心は書かない」「糸巻きのように周りのことを徹底して書く」、そして「最後に空虚なものが残る」という作法に徹していた

Posted by simfarm at 2008年08月31日 08:14