ドイツ人研究(その2)

かな~りよくわかってきましたよ、ドイツ人の環境意識・行動のことが(^-^)。

ドイツ人関連の本はもう何冊か読破しましたが、2番目に面白かった本がこれ。

『エコライフ-ドイツと日本どう違う-』(高松平蔵・アンドレア著/化学同人)


最も面白かった本は、赤線引きまくりでまだ備忘録のテキストに落とせていないので、出来次第UPします。
ちなみに1番面白かった本は、

『環境にやさしいのはだれ?-日本とドイツの比較-』
(K.H.フォイヤヘアト&中野加都子著/技報堂出版)

でした。


<『エコライフ-ドイツと日本どう違う-』備忘録>

●ドイツ人は安全と健康をとても大切にする

●ドイツの家には必ず地下室がある

●ドイツは「市場経済」を選択した国ではあるが「市場社会」にはしていない。「社会的市場経済」という理念を戦後の経済政策として選んでいる。一方、日本の光景は「市場社会」すなわち消費文明を選択したように映る。

●ドイツは「買いたいものを買っている」が、日本は「買いたくないものも買わされてしまう」。消費文明の「媚態」に弱い日本。

●ドイツ人はシステムをつくるのがうまい。さらに、システムをきちんと生かすためのルールづくりとその順守が徹底している。

●日本は計画はあっても理念と共有の徹底が全くない。

●ドイツの環境に対するスタンスは「愛するものを守る」。ここには人間が自然に対して愛を与えるというキリスト教的な影響がある。日本であれば「自然の恵みに感謝する」。こちらは逆に自然から何かを与えられているという関係だ。

●極端な話ではあるが、親子でいえばドイツでは「親=人間、子供=自然」、日本では「親=自然、子供=人間」。日本では自然に対して恐れはあるが甘えもある。

●ドイツで環境教育が熱心だったのは1995年ぐらいまで。最近は環境よりも、もっぱらITやマルチカルチャー(多文化)にスポットがあたっている。

●ドイツでは1994年に基本法に「国は、未来の世代に対する責任という面においても、自然な生活基盤を保護するものとする」という項目が加えられ、環境保全が国家目標の一つに引き上げられた。

●ドイツ人が環境配慮型の行動ができる大きな理由として、地域単位での「結晶性の高さ」が見逃せない。ドイツの地方は独立性が高く、地域単位で完結している。働くこと、学ぶこと、買い物やレジャーといったあらゆる人間の営みが同一地域で行われる。

●環境に対する意識が高い世代が親となって、世代を超えて「自然志向」という新たな価値観をごく普通に共有できるようになった。

●ドイツ人は日常生活のなかで、実によくストレスという言葉を使う。とにかく不快感をよく表明する。ドイツ人は文句の多い国民としても有名だ。裏を返せばドイツ人は実にわがままなのだ。それは「快適性」をめぐる議論ができることでもある。

●「わがままの共有化」によって、公共性の問題になる。快適性を求めるわがままが重なれば、住環境がどんどん向上する。環境問題も同様で、住環境の向上と関連付けられて考えられている面がある。

●彼らにとって「環境=生活」であり、あくまで自分たちの生活を中心に考えているということだ。自分の人生は自分で決める権利があり、そのための生活を継続できる環境が必要ということである。

●ドイツでは家は冬のために作られる。すべて二重窓。ドイツ人は家のエネルギー効率を高めることに余念がない。日本は逆に夏向きに風通しのいい家がつくられてきた。

●古い家を大切に使うけれど、どんどん自分風に改築する。部屋の一部をサンルームにするケースもしばしばある。

●ドイツの照明は「ろうそくの電化」レベルであり暗い。日本は蛍光灯で明るすぎる。

●タイタニック号が沈むとき、船長が男性から海に飛び込むように説得する。
  イギリス人には「あなたは紳士だから」
  アメリカ人には「飛び込めばあなたはヒーローだ」
  ドイツ人には「ルールだから飛び込んで」
  日本人には「みんなが飛び込むから」

●今は「グリーン」が日常化した。社会と政治のなかでシステムになってしまい、感情的ではなくなった。自分の生活水準を環境のために下げようとしている人は1996年が54%だったのに、98年は44%。

●「自分がやろうと思えばやる」ということが日本人には難しい。自分は社会でどう見られているかということを、日本人は大切にしている。日本人は「グループメンタリティ」が高い。ドイツ人は基本的に「自分が社会」だと思っているから、自分が納得すれば行動に移す。

●日本人は現状維持をよしとする傾向がある

●ドイツは生活の延長にきちんと政治がある

Posted by simfarm at 2008年09月16日 20:53