ドイツ人研究(その3)

ドイツ環境関連書では今のところピカ一の本です。

『環境にやさしいのはだれ?-日本とドイツの比較-』(K.H.フォイヤヘアト&中野加都子著/技報堂出版)

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多分誰も読まないとは思いますが、この本の膨大な赤線箇所を以下に写経のように引用しておきます。

ソフトカバーなのに2800円もしますが、その10倍以上の価値がある、ほんとに良い本でした!(^-^)


<引用>

●ドイツから学ぶことは枝葉末節な環境対策よりも、国としての座標軸を失わないこと。

●日本ではヨーロッパでいう「自然」の対立概念として「人為」が存在してきたのではなく、両者の境界線を曖昧にすることによって、独特の文化を育み、自然環境を保全してきた。

●日本人の使う「自然」という言葉は、英語のいわゆるnatureの訳語そのものではなく、山、川、海、風などと共存した人々の営みから生まれた自然界で起こる事物全体の抽象的、曖昧な事象すべてを指していることが多い。

●敗戦後の約半世紀の間に無批判に欧米文化を受け入れてきたことによる弊害が、今日の環境問題につながっている可能性がある。にもかかわらず、なぜ、また海外の環境対策を安直に直輸入して解決をはかろうとするのか。

●日本では自然界のすべてのものに「いのち」の存在を認めてきたこと、人間は自然の一部にすぎないと考えてきたことと、もう一つは人口を自然の境界が曖昧だということである。

●ヨーロッパでは、「自然」とは「人工」の対立概念で、人間の外なる対象として存在する。自然は人工によって完成されるという考え方もある。

●日本では自然を対象化して捉える姿勢が希薄。

●ドイツの気温は、地域によって差があるものの、おおよそ北海道と同じぐらいである。ドイツに住む人にとって重要なことは暖房である。

●地域余熱利用技術
 ・ヘアフォアト市「ザットラウェーク」
 ・シュペリング村「スチーゲルボッテ」
 ・シュタットハーゲン市「オーブストアンガー」

●3リットル住宅(1㎡当たり3ℓ/年で暮らすことのできる家)
 ・地価に設置された燃料電池(天然ガスによるもの)により、発電と給湯を行う
 ・三重ガラスの採用
 ・屋根材への断熱材の採用
 ・潜熱蓄熱しっくい(レンガづくりの住宅は一度冷えると室温が下がりやすい欠点をカバー)
 ・熱回収型エアコン(屋根に取り付け)

●ヨーロッパ人から見て、日本の伝統的な考え方である、自然の営みに委ねるという考え方は驚きに値するものである。同時に日本の大都市のように、自然が台なしにされていることをあまり深刻に考えない感覚にも驚く。

●ドイツでは自然を「対象」として考える文化があったため、自然との調和やバランスを考えることを常に怠らなかった。一方の日本では、自然を「対象」として考える習慣がなかったために、いったん、自然破壊が始まると、前もって管理・制御することなく放置されることとなり、結果として、済し崩し的に自然破壊を進めてしまったことにつながったのではないかと思われる。

●自然・生活・芸術の境界を曖昧にしてきた日本の伝統から考えると、環境管理手法に従った数値的な管理によるよりも、「もったいない」という価値観を見直す方が効果的かもしれない。

●日本人はモンスーン的、すなわち、受容的・忍従的であるとされる。自然を征服しようともせず、また敵対しようともしないにもかかわらず、台風的な性格が人間のうちに戦闘的な気分を沸き立たせずにはおかず、突発的に燃え上がるけれども突如として静寂なあきらめにつながる。桜の花に象徴される日本人の気質はこのような突発的忍従性に基づいている。

●ヨーロッパにおける安定的な自然環境から、単調にして温順な自然と征服的に関係するヨーロッパ人は、土地の隅々までを人工的に支配し、その支配を容易にするために熱心に機械を使うことを考え、合理的な技術を開発してきた。

●征服可能で温順な自然との関係を基盤とする風土的過去と、法則性に基づく自然科学のうえに「環境管理」の考え方を打ち出してきたのがヨーロッパであるとするなら、日本には不規則、突発的な自然を、コツと知恵によって手なづけ、豊かな文化を築きつつ自然と付き合ってきた風土的過去がある。

●ドイツでは経済とそれ以外の複数の指標で豊かさが捉えられるのに対し、日本では「モノ、カネ」といった経済単一指標で豊かさが捉えれがちである。

●日本は自国の産業活動などを発生源としたCO2や環境汚染物質が、他国または地球規模で与える影響をはっきり認識できる機会も少ない。一つには日本はオイルショックを契機に省エネルギー対策を限度まで進め、先進国中でも1人CO2排出量が少ないことをはじめ、官民協調体制で先進的に環境汚染の防止に努めてきたことと、もっと単純に、中国大陸の東端から日本まではドーバー海峡の約22倍もあるという地理的条件のために、他国または地球環境に与える環境影響を現実問題として認識しにくい。

●ドイツのような陸続きの国には自然あるいは環境に国境がない。大気は複数の国で共有のものであるし、ライン川やドナウ川のようにその水源から河口に至るまでに何カ国も経由する河川が珍しくない。

●ドイツでは意識したり考えるだけではなく、行動に移す。

●日本では大陸から離れた孤島であることが一つの大きな要因となって、「みんなが正しいと言うこと」、すなわち、行政も多数の学者も地球環境問題を何とかしなければならないと言っていることが社会的な正義となった。それへの対処が多数の利益、すなわち、企業活動や生活者にとって利益になるという意識から、地球環境問題への意識が高まった。しかし、実際にその問題が深刻に受け止められているかというと、ごみ問題のような目前の深刻で現実的な問題以外は必ずしもそうではなく、対策も実行に移されにくい。

●ドイツでは、大陸の中にあり、自然や環境に国境がないという点で、現実の問題として地球環境問題が認識されている。そして、陸続きで他国との政治的国境があるという緊張関係が、すぐに行動に移すことを習慣づけている。

●直接的にドイツと同じような方法で環境意識の向上を図るより、日本の置かれた条件に合った方法、例えば、国内で直接感知できる環境状況によってではなく、むしろ、地球環境の変化によって他国が受ける被害が日本にもたらす影響を理解できるようにすることの方が、環境意識を向上させていくうえで有効であるといえるかもしれない。

●ドイツでは環境省が州ごとにあり、各州に環境大臣がいる。

●日本では衣食住の中で「食」に対する関心が高い。ドイツでは「食」よりも「住」に対する関心が高い。

●「もったいない」という言葉が日本で死後同然になってしまった。

●1965年くらいから、使えるものでもどんどん捨てて経済を発展させるのが人類にとって唯一の正しい生き方だと日本人が本気で思い始めた。そして自国の文化よりも欧米の文化を重視してきた。

●日本はリサイクルに関する技術や法律など、「出口対策」を学ぶために大勢の視察団をドイツに送り込んでいるが、ドイツは「入り口対策」主体の国だということである。

●日本人が伝統的な自国の文化を軽視した「付和雷同型」であるのに対し、ドイツ人は自国の文化を徹底的に守る「頑固一徹型」であると言える。

●国として軸のない付和雷同型は好ましくないが、素直に新しい考え方や技術を受け入れて坩堝に入れ、単なる物真似ではない新しい文化や価値を創造してきた国民性は、ドイツ人から見ると敬意に値する面もある。

●ドイツの電気、ガスの料金は日本の約半分。日本の持ち家率が60%に対して、ドイツは40%。ドイツの消費税は16%。

●役に立つ海外の技術や知識の吸収に努めつつ、日本の伝統的な「もったいない」という概念を復活させて字密な暮らしを取り戻すことが、当面のわかりやすい目標であるように思われる。

●ドイツ人は日常的に住宅の修理やメンテナンスを行っている。木造住宅の場合でも雨のかかりにくい設計などにより百年程度住み続けることが基本。そのため、絶えず維持管理をする。

●新しく住宅を建てる場合に、骨組みだけ専門業者に任せ、内装は自分で行うという契約形態もある。修理の専門書や、部品交換を行って不都合が生じた場合の異議申し立てや訴訟を行う場合に、専門家の紹介を行う消費者相談センターもある。

●アフターファイブや休日の活動として、住宅のメンテナンス、修理を行うことが日常的であり、室内のインテリアを含めて、長く大切に使うことが基本であるドイツの「ストック型」ライフスタイルから学ぶべきことは多い。

●日本においては、消費者の選択肢を広げ、消費者の意思と工夫によって長く使い続けられる情報システムを一般化すること、そして消費者も、使い捨ててまで新しいものを持つことから、維持管理しながら長持ちさせることをレジャー感覚で楽しむことへの「価値転換」を図ることが求められる。

●池田勇人の経済ブレーンだった大蔵省財務調査官の下村治が「経済を急速に成長させるには、工業生産力をつける必要がある。重要なのは住宅などの生活資本への投資ではなく、民間企業の設備投資だ」と明快に割り切った考えを示した。

●得倍増論の延長線上に今日の便利で物質的に豊かな生活と、「モノ、カネ」の尺度しか持てない「精神的貧しさ」がもたらされた両面がある。

●1960年代14年間経済相を務めたエアハルトの「経済発展を主導するただ一つの尺度は生活者の視点である」という考えのもと、普通の人々の富と福祉の向上に力を注いだため、急速な余暇の増大やワークシェアリングが進んだ。

●ドイツの大きな価値観・考え方 「不必要と考えることを単純に受け入れられない」。ドイツから学ぶことは、「入口」で1人1人が自分にとって必要かどうかを冷静に判断し、不必要と考えることを拒否できる主体性である。

●ドイツのBASFなどの企業が主体となって、プラスチックを規制しようとする国に対抗する手段として製品などの環境適合性を照明するために、環境負荷評価手法を発展させた。これはLCAを国家プロジェクトを軸として発展させた日本との大きな違いとなっている。

●新エネルギーの弱点は、自然条件に左右され安定供給が困難なこと、発電量に比べると施設が過大となること、などからくる稼働率の低さと、コスト高。

●ドイツの再生可能エネルギーによる発電は、2001年度には約7%に過ぎなかったが、2010年までに総エネルギー消費における10%以上に高める計画。2000年施行「再生可能エネルギー法」(EEG)がその核。

●ドイツのエネルギー政策の柱は、
 ・脱原発
 ・EU内の電気とガスの貿易の自由化
 ・京都議定書の実施

●日本では過去に「住宅用太陽光発電導入基盤整備事業」において、住宅用太陽光発電の普及の兆しが見られたにもかかわらず、順調に補助を進められなかった。

●EUではエネルギー源の再生可能エネルギーへの大幅な転換だけではなく、化学品使用に関する予防原則など、20世紀とはまったく違った新しい価値観、哲学を打ち出し、アメリカを中心とする勢力との対抗軸を構築しようとしている。

●ドイツでは必要なエネルギーの確保については比較的楽観視している。これは、石油や天然ガスのパイプライン網や送電線がヨーロッパ内でネットワーク化されているために、エネルギーの輸出入が容易である。そのため、国内で極端に悪い状況になっても他国から調達することが可能だからである。

●ヨーロッパではもともと、日本やアメリカほど便利な生活はしていない。

●日本では便利で物質的に豊かな生活をしながら「ドイツを見習って原発を廃止し、再生可能エネルギーの利用を促進すべき」という風潮がある。そのうえ、エネルギー政策上の失敗は許されない。ある対策だけを断片的に取り上げて「ドイツを見習う」ことの問題は、エネルギー問題にもあてはまる。

●地形的に日本は非常に特殊な条件にある。そして、アメリカと違って、戦前までの長年にわたる独自の生活様式や文化の蓄積があり、それは今後世界が目指すべき「持続可能性」を秘めたものである。ドイツがEU全体と一体となって独自の方針を打ち出しているように、日本でも今後、地形、歴史、産業や生活の状況、価値観や文化などをセットにして、オリジナルな対策を追求することが課題である。

●ドイツが「環境税」を導入した4つの前提
 ・労働に関する価格と資源の価格のアンバランス(労働>資源)の是正
 ・ものの値段はエコロジー的真実を表さなければならない
 ・環境政策の簡素化(沢山の秩序法をまとめる)
 ・膨大なエネルギーの無駄づかい

●税導入後、国民に向けては家電製品の使い方、待機電力への注意、コンセントのメーターの取り付け、建物のリフォーム、ソーラー・家庭内小型コ・ジェネ器具の設置の仕方、省エネ住宅の紹介、まきの使い方などの詳細な省エネへの具体策が情報提供されている。

●2002年3月調査 「環境税に賛成」83%。

●「環境税」実施へのプロセスは単純なものではなく、現在でも試行錯誤段階である。

●ドイツのNGO活動では、反原発や企業活動への批判を目的としたデモや破壊活動など、過激な行動を通じて社会にアピールしてきたのに対し、日本では行政と一体となった活動を通じて政治への市民参加を図る活動が中心などの違いが見られる。

●日本におけるNPOは、一般的に「環境保全等を目的として、善意から自発的な活動を行う組織」と位置づけられている。

●2004年3月までにNPO法に基づき認証された1万6160団体のうち、「環境保全を図る活動」(29.2%)と「街づくりの推進を図る活動」(39.4%)をあわせると68.6%となり、環境関連は主要な分野となっている。

●ドイツの代表的なNGO アムネスティ・インターナショナル、WWF(世界自然保護基金)、グリーンピース

●当初は「道徳長官」のような権力を持っていたが、その後「保守勢力との妥協」「エキスポ2000での主張の後退」「活動の変質」「役職目的、新しいエリートを目指す人の出現」「政治的権力を獲得するための組織の変質」「権力を握るための妥協」など成熟・肥大化した。このように変質し始めたNGOは、一部から「die Oekos(エコ人間)」というあだ名で呼ばれている。

●日本ではドイツで批判的な目で見られている対話、円卓会議、委員会活動の方が、活動当初からむしろ一般的であり、官民協調型、あるいは企業がステークホルダーとしてのNPOを聞くといった協働活動となることが多い。

●地域特性抜きに環境対策を考えることは不可能である。例えば各国、各地域における人間社会は、地理的・自然的条件という根本的事実の上に文化を蓄積してきたが、それぞれの人間社会内の技術や社会システムなどは、根本的事実や文化のうえにつくりあげられているからである。

●ある結果が、それに至る長い歴史的蓄積や、国としての固有の文化や国民性、地域性に大きく依存していることを一切抜きにして、「参考」ではなく、どこかで無意識のうちに「グローバルな世界での理想的な事例」かのように認識され始めると、現実として大きな矛盾を抱えることになる。

●「バーチャルな豊かさ」(さらなる物質的豊かさと精神的な豊かさ、安全・安心の高さの同時実現)への欲望は、長い歴史を通じて生活者が一般的に持っていた自然と調和して暮らしていくためのバランス感覚、自然への謙虚さ、文化の核心、生活と文化の共同体としての国という意識まで失わせているように思われる。かえって目標を不明確にしている。

●ドイツ「消費者情報提供法案」 消費者に十分な情報を提供することによって「賢い消費者」を育て、消費者自身の選択、責任、判断能力を高めるのが目的。情報提供の前提としては、情報を保有し優位性のある企業に対して、消費者は受け身の、保護されるべき存在であるため、消費者の選択を助ける最低限必要な情報を企業が提供すべきという考え方があるが、それに加えて、ドイツではむしろ十分な情報を消費者に提供することを通じて消費者を育て、自己責任能力を高めることが目的の一つと考えられている。

●日本には新しい時代が到来したのではく、新しい技術やシステムを媒介として、本来、日本が持っていた社会に戻っていきつつあるという考え方のほうがよい。

●ドイツ人のライフスタイルの根底にあるのは「私たちはこれでいいのだ」という国民の価値観と伝統を重んじる精神である。ドイツと対比して、日本は「足るを知る」ことを忘れ、伝統や誇りを失っている。今後の循環型社会構築のプロセスでは、社会システムや技術だけではなく、日本人としてのアイデンティティと誇りを何としてでも取り戻したい。

Posted by simfarm at 2008年09月20日 09:16