「脳について解明されていること」レポート(第6回)

昨日このレポートを書いたもらったOさんから直接レクチャーを受ける約束をしていたのですが、すっかり忘れておりました。
最近ダイアリーのメインを手帳からgoogleカレンダーに変えたのですが、その際にこのアポを転記してなかったのが原因です。とはいえ、何か脳に引っかかっていればこんなことにならなかったのに・・・。これってもしかして初期の認知症?(怖

いずれにしましても、Oさんごめんなさい<(__)>

さて、今回は茂木さんを一躍有名にした「クオリア」という概念にについてです。

第6回 クオリアについて

■五感とクオリア
<視覚>
その情報が自分にとって価値がある・ないで、同じ物を見ても活動が違う。これは自分が過去に得したか損したかという個人の経験に拠る。《脳はなにかとp.42》
視神経は半分だけが交叉(半交叉)している。右目についても左目についても、左側の視野は脳の右半球で、右側の視野は脳の左側がカバーしている。したがい、右脳の視野角がダメになった場合、視野の左側が見えなくなる。こういう現象を「盲視」という。
視神経は視床で乗り換えられる(進化的に新しいので「新しい経路」と呼ぶ)が、それが枝分かれして、脳の真ん中にある「上丘」という場所(「旧い経路」と呼ばれる)にも運ばれる。この盲視の患者は、原始的で単純な上丘で処理され、上述の判断をしている。健常者の場合も、飛んでくる物体をとっさによけるための視覚情報は、旧い経路から脳に入る。テニスのサーブなどの剛速球を打ち返すプロの選手は上丘で判断している。《進化しすぎp.148》《目からウロコp.56》

<聴覚>
その情報が自分にとって価値がある・ないで、同じ物を見ても活動が違う。これは自分が過去に得した音の信号が鼓膜をふるわせ、蝸牛によって電気信号に変えられる。信号は延髄、橋、中脳、視床と流れ、聴覚野へと達する。音の大きさや音の発する方向の判断などは、聴覚野の働き。言語に限っては、さらに言語野へとすすみ、その内容が理解される。《目からウロコp.160》
聴覚野は音のヘルツ数に従って聴覚野の働く場所が違う。音の低い方から高い方へと反応する場所がきれいに分かれている。《進化しすぎp.46》

<嗅覚>
嗅覚は空気中の分子の刺激によって呼び起こされるが、人間が匂いとして感知できる分子は3000~1万種である。一方、空気中に漂っている分子は40万種以上といわれている。ただし、フェロモンのように、意識が匂いとして感じることはないが、脳はきちんと感知し、人の判断に様々な影響を与える物質もある。《目からウロコp.160》
人は生活の中では「匂いを嗅ぐ」という行為はさほど重要な位置を占めていない。多くの動物は食べ物を見つけたり、腐っているかどうかを判断するなど生死に直接結びつくとともに、犬や猫のように匂いによって後尾の相手を決めたり縄張りを確認したりするものもいる。
嗅覚からの刺激は視床下部や記憶に関係する海馬にダイレクトに伝えられるので、記憶に結びつきやすい。香水に匂いで昔の恋人を思い出したり、たき火の匂いで懐かしさを感じたりするのもそのため。また、視床下部や大脳辺縁系は、情動に深く関係しているため、心地よい香りを嗅げば、自然と気持ちが癒される。《面白いp.76》

<味覚>
味覚は化学物質の分子に感覚器である舌が触れて感知する。味には甘み、塩味、酸味、苦味、うま味の5基本味がある。味覚は味細胞で電気信号に変えられ、味覚野に達する。味覚野は前頭葉の体性感覚野のすぐ下の領域にある。《目からウロコp.132、161》
味覚野は先入観によって活動を変える。特に「不快」なことに関しては強く反応。《脳はなにかとp.46》
味覚野の実験では「これは美味しそうだ」と思うときと「不味そうだ」と思うときでは、情報が大脳に入ってくる開始点のところで、すでに情報にバイアスがかかっている《脳はなにかとp.41》
また、味覚は扁桃体にも伝わることが分かっている。扁桃体は原始的な快・不快な感情を呼び起こす部位であり、食べ物が人間に理屈抜きの大きな快楽をもたらしたり、逆に不快や嫌悪を感じさせたりするのはこのためでもある。《目からウロコp.161》

<皮膚感覚(体性感覚)>
皮膚感覚には、触られた感覚である触覚、押された感覚である圧覚のほか、痛みを感じる痛覚、熱さを感じる温覚、冷たさを感じる冷覚がある。これらの感覚器によってとらえられた情報は、電気信号に変えられ脊髄や視床を経由し、体性感覚野へ送られる。そして脳が感覚を認識する。。《目からウロコp.164》

<クオリア>
「トマトジュースの鮮やかな赤」や「バイオリンの豊かな音色」など、ありありと鮮明に心に立ち上がってくる感覚、それぞれのものにそれぞれ固有な感覚をクオリアという。クオリアとは抽象的なものであり、抽象的なものは言葉が生み出したもの。クオリアは大脳皮質で生まれる。《目からウロコp.166》《進化しすぎp.192》

■欲望とクオリア
自分がまだ経験したことのないクオリア、とりわけ数字で表すことのできないクオリアについて、それがどのようなものであるかを類推することは一般的に難しい。珍味であれば、実際に味わうまでは、それがどんなものかは分からない。
人間は体験していない未知のクオリアにあこがれ、それを強く欲望すると言うところがある。人間の欲望は衣食住といった基本的な生命維持に関わるものや、性に関するものなど、他の動物と共通のものもある。一方で、大脳皮質がここまで発達してしまった人間にとって、新しいクオリアを求めるという欲望が、欲望全体の中でもかなりの部分を占めている。
人間が新しいものを好むという傾向を指して「ネオフィリア」という。クオリア体験におけるネオフィリアこそ、人間という存在の最大の特徴の一つである。《からくりp.231》

■口コミとクオリア
クオリアは、それを実際に体験しなければ類推がきかないものであるからこそ、クオリアをすでに感じてしまった人と、まだ感じていない人の間には断絶がある。その断絶を乗り越えようとして、人はコミュニケーションを試みる。たとえば映画から受けた感銘であるとか、一言では片付けられないクオリア体験を説明しようとするときに、人は雄弁になってしまう。だからこそ、「口コミ」によって今までなかった新しい商品なりサービスが流行る現象があるのだろう。「口コミ」は未知のクオリアが人々の間のコミュニケーションを通して次第に社会の中で知られていく過程である。《からくりp.233》

Posted by simfarm at 2006年10月05日 09:09

Comments

Good site! Thanks.http://ebony-busty-anal.egvac.info/index.html anal clip daily free video

Posted by Culutaan | 2007年08月23日 20:08

Post a Comment