3月18日 キャッチャー・イン・ザ・ライ

最近は超乱読モードになっております。

その中には、仕事のための読書の他に、若かりし頃に読んで感動したものや、ふにゃふにゃ感が残ったような小説の再読も入っています。

ふにゃふにゃ感の筆頭といえば、そう、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』ですね(これは同意が得られることでしょう)。

この小説は大学時代に読んだのですが、現役合格慶応ボーイの鼻持ちならない野郎だった私には落ちこぼれのホールデンの気持ちは全くといってわかりませんでした。
こいつ頭悪すぎという感想しか持てず、何で皆んながありがたがっているのか理解不能でした。
唯一影響があったことといえば、ホールデンの一番好きな酒が「フローズン・ダイキリ」だと書かれていたので、読み終わったその日に「フローズン・ダイキリ」を飲んだということしか覚えていません(笑)。

そんなわけで、あのふにゃふにゃ感を再確認するため、村上春樹訳版の

『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(J.D.サリンジャー/村上春樹訳/白水社)

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を読んでみました。

で、20年ぶりに読んでみても、あいかわらず頭悪すぎなホールデンではありましたが、やや読後感が違っているように思えました。

昔は感じられなかった「救い」や清涼感を改めて感じた読後感でした。
私は20年前から確かに何かが変わっているのですね。


また、昔読んで面白かった小説では、

『ヨッパ谷への降下』(筒井康隆/新潮文庫)

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を再読しました。

その中にある短編「九死虫」の一節に思わず感銘を受けました。

「しかしこれだけは知っておいてもらいたい。われわれ動物の行動に意義があるかどうかは、それによってその動物が生き残れるかどうかが判断の基準になるのだ。その動物が生き残るための邪魔になり、生き残る助けにならぬような行動はすべて、謝った行動なのだ。つまりは政治的、経済的、科学的、文化的なほとんどの行動は誤りであるということだ。われわれはこのことを、二万年前に絶滅した人間によって教えられてきたのではなかったか。彼らが絶滅したのはまさにこれが原因であった。つまり彼らは種として生き残ることよりも、精神的充足に重きを置くという動物としての決定的誤りを犯したのである。
〜中略〜
宗教が、学問が、文化が、おれたちの死を取り消してくれるだろうか。それらの頂点をきわめたとして、おれたちが神になれるとでもいうのか。そんなものはすべて、死ねばなくなってしまう。まず死の恐ろしさをよく認識し、死なないようにし、どんな思想も文化も、すべてはそこから出発しなければならない。」

いま最も注目されている学問である進化心理学のベースとなっているのは、まさにこの「生き残ること」なんです。

この「九死虫」が書かれたのは1990年6月。

筒井康隆恐るべしですね。


読みたい本をジャンルを問わずamazonで買いまくりましたので、↓こんなふうに開梱もしないamazonの箱が積み上がっている状況です(ハハハ。

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ああ、読書って楽しいけど、苦しいんですよね(^-^;)


<今日の五兄弟(一人&四匹)>

ナツ(次女)
natu080320.jpg
【D300+AF-S NIKKOR 24-70mm F2.8G ED】

Posted by simfarm at 2008年03月20日 13:17